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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

阿波の不思議霊場(18番~23番)

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徳島市内を抜けてさらに南へ向かいます。
すると大きな川を渡り、小松島市に入ります。
かつては和歌山からフェリーが着いて賑わいを見せて
いましたが、明石海峡大橋と鳴門大橋ができると、フェリーの
利用客も減りフェリー自体が徳島に移されてしまいました。

国道から山手の旧道に入ってしばらく歩くと
右側にこんもりした山があります。
これが旗山で義経が屋島へ向かうときに
ここから上陸したといわれています。

右の山を少し登ると18番恩山寺です。

ここの門前には「ちば」という民宿がありました。

本来は四国遍路は肉・生魚は食べてはならないと
されていますが、故あってここでは食べました。

ひょっとしたら最後の晩餐になったかも知れない食事でした。

ここから立江寺までは焼く10キロです。
途中にお京塚といういわれのある場所があります。

また、川を渡って立江寺に向かうのですが、渡らずにそのまま
進むとかつて立江寺があった場所があります。
現在でもお寺があります。

現在の立江寺は街中にありますが、その昔火災にあって
全焼した時に現在の場所に移ったといわれています。
こちらはもともとの札所の雰囲気を持っています。
ぜひ立ち寄ってみましょう。 

19番の立江寺から22番の平等寺までは不思議な?
番外霊場が並んで?います。

まず注目すべきは取星寺と星谷寺(星の岩屋)です。

どちらも19番の奥の院と称しているが、遍礼霊場記にも
載せてある由緒正しい番外霊場です。

空に悪星がでた時にお大師さんが星の岩屋で祈願したところ
取星寺に落ちたと言う説があるが定かではありません。

星の岩屋は丁度、鶴林寺から勝浦川をはさんだ
対岸の山の中腹にあります。

本堂への石段の脇には鳥居杉があり、本堂脇には岩屈
そこを抜けると滝の裏に出ます。
滝を裏から見るので「うらみの滝」とも言います。

クスノキにお不動さんが彫ってあります。
すなわち「生木不動」です。

ここにはとても思い出があります。
10年以上前に修行させてもらったことがあるのです。

下の星谷寺(下寺)で住職さんに
「修行させてください」というと快く承諾してもらいました。

断食をしながら毎朝夕、心経を50巻ずつ唱え、山を超え中腹の
中津峰まで毎日行きました。

70キロ以上あった体重が54キロまで減っていきました。

星の岩屋では10日ぐらい断食したでしょうか?

ふともう一度四国巡拝に出たくなり、1週間ぐらいかけて
体調を整えました。

その間に不思議な体験がありました。
近くに仏陀石というところがあります。

物珍しさに試しに行って見ました。

するとそこでいきなり天から何かが降ってきて
「かさ」に落ちました。

驚いてあたりを見回しましたが、何も落ちていません。
いったい何だったのでしょうか?

そこを守る何かが私の心を見透かして
咎めたとしか考えられませんでした。

星の岩屋から20番札所鶴林寺まではすぐです。

しかし余裕があれば慈眼寺へ行きたいです。
20番札所の奥の院と言われ霊場記にも載っています。

途中に灌頂の滝と呼ばれる徳島最大の滝があります。

納経所から本堂までは少し登りますが穴禅定と呼ばれる
行場(鍾乳洞)があります。

私が四国遍路5度の中で最も苦しいと思ったところが
この20番札所鶴林寺への登り道です。

登山道を知っている方は何で?と不思議がるでしょう。

標高500メートルあまり、取り立てて難所と呼ばれる旧坂や、
危ないところもありません。
小学生の遠足にでも使えそうです。

仏の世界にも地獄があり、地獄にも仏の世界がある。
それを実感しました。

私が経験したのは無謀にも台風が接近中での登山でした。

下の勝浦川沿いの道は強風で進むのさえ困難です。

まだ時間が早いので登山道に入りましたが、
道に迷ってしまいます。

風によって木々はざわめき、いつ枝が折れて飛んでくるとも
木が折れて倒れてくるとも分からない中を登っていきます。

無事たどり着けるのだろうか?途中で戻ることも考えましたが、
戻るのも危険なところまで上がっていました。

カッパを着ているためサウナのような熱さで
汗がだらだら流れます。

ようやくお寺が見えたときは本当にほっとしました。

まだ午前中でしたが、その日は泊めて貰いました。

翌日太龍寺への登山道では何本かの木が倒れていました。
よく無事だったと思います。
仏の加護もあったのでしょう。

途中で私が追い抜いていったお遍路さんは登らず鶴林寺の
麓の宿に泊まったそうです。

ところで鶴林というのはお釈迦さんの涅槃のことです。
娑羅樹はお釈迦さんの涅槃と同時に鶴のように
白くなったといわれています。

ここから、太龍寺までは下って上り2時間ぐらいです。

鶴林寺であった車で回るお遍路さんよりも太龍寺に
早く着いたことがあります。

この二つの札所はとても霊気の高い場所です。

ゆっくりお参りしましょう。

太龍寺は弘法大師の「三教指帰」に出てくる阿国大瀧嶽と
言われています。

大きな杉の木立に囲まれた静かな場所です。

徳島には他に2ヶ所「阿国大瀧嶽」を主張する場所が
あります。
最も有力なのがここです。

ここには南の舎心と北の舎心があります。
南の舎心は弘法大師が修行した場所といわれ、
弘法大師像があります。

舎心はもともと捨身だったとも言われています。
どちらも大きな岩の上で断崖ですから
捨身のほうが本当でしょう。

また求聞持堂があります。
本堂のすぐ隣ですから読経はお静かに(笑)

ここにはかつて奥の院である龍王の窟という
洞窟がありました。
弘法大師が求聞持法をしたとしたらここだったの
ではないかと思われます。

戦前までは存在していましたが、現在はありません。
驚くべきことにセメント会社に売られてしまい
失われてしまいました!
貴重な霊場であっただけに残念極まりありません。

21番札所大龍寺から22番札所平等寺へ向かうには
2つのルートがあります。

一つは車のくねくね道を降りる道、もう一つは南の舎心の
先の道を降りて中山薬師にいたる道です。

22番へ行く前に一度は行ってみたいのが黒滝寺です。

ここにもお大師さんの伝説があります。

その伝説とは
「昔、竜王山という山に、大きな暴れ竜が住んでいて、
麓の村人たちを苦しめていました。それを聞きつけて
弘法大使が駆けつけ、悪魔退散の祈願をし、暴れ竜を
封じこめました。」
というものです。

一方12番札所焼山寺の伝説は

「山に住みつく毒蛇が時々村にあらわれて村人をおそって
いることを聞きました。大師が山に入ると、大蛇は大変怒って
全山を火の海にしてこれをはばみました。 大師はおそれすに
手で印を結び、 火の中を登って行くと、大きな毒蛇が
あらわれて大師の 行手をさえぎりました。その時、
虚空蔵菩薩が姿をあらわし、大蛇を岩屋の中に封じ込めました」

2つの伝説は似てないでしょうか?

焼山寺から山を下っていくと建治寺(ここも阿国大瀧嶽と
主張しています)があります。

位置関係からすると丁度黒滝寺と太龍寺にぴったりです。

同じような伝説が2つあるということはどちらかが後から
創られたのではないでしょうか?

黒滝寺は大龍寺の奥の院と言われ「三滝、七淵、五剣山」
といわれる行場があります。

歩くと大龍寺から2泊3日の距離にありますが、
行くだけの価値はあります。

22番の平等寺は平地にあるお寺です。

ここから新野の町をかすめて抜けると
月夜お水庵があります。

ここには弘法大師のお水伝説と逆さ杉があります。

逆さ杉というのは根っこが上にあって逆さまに生えている杉
ではありません。
杉で杖を作ると根元が太いので上、先が細くて下になります。
そのまま地面に突き刺すと普通に生えている状態とは
逆になります。
それで根がつき芽を出したので逆さ杉というのです。

実際にそんなことがあるのかどうかは知りませんが、
種類によってはあると聞いたこともあります。

事実はともかく杉の大木がありますのでお参りして功徳を
いただいてください。

月夜お水庵から少し行くと国道55号に出ます。

室戸96キロと書いてあるのを見てびっくり、室戸には
24番札所がありますからそんな先まで歩くのか?
と思うと気が重くなります。

ここから日和佐までは国道を歩きます。
排ガス、暑さなどに悩まされるよりはバスまたは鉄道を
使うほうがいいかも知れません。

23番薬王寺は厄除けのお寺として有名です。

ここより約6キロ奥に玉厨子山という奥の院があります。

以前は上り口がよく分からず、近くに犬が放し飼いにして
あるので、必死の思いで登った記憶があります。
今はどうでしょう?
情報をお待ちしております。

玉厨子山は車では登れません。
上り口から約一キロ山道を歩きます。
無住のお寺ですが、建物はしっかりしております。

ここには即身仏(ミイラ)として「テッカン」さん?
という方がお堂の下に眠っておられます。

遊び半分でいくのは止めて下さい。

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